季刊「笛の音」第六号・穀雨
2016.04.21 Thursday 02:25[ お囃子手習い帳 ]
多くの伝統芸能がそうであるように、お囃子の伝承もまた口伝による。が。が、楽譜と呼べるものも存在する。存在します。僕のような素人に毛が生えたようで実は毛の生えていないただの素人が、お囃子の歴史や作法について滔々と語るのはとってもとってもハバカラレルので、いや、そもそもそこまで知らないし、だもんでミーハーな感じで続けますが、へぇ。
楽譜のはなし。
僕がいただいた楽譜というのは、最近稽古に通ってくる小さなお友達のみんなに配られたものと同じ楽譜になるのですが、その内容。内容は、ほとんど締め太鼓の手順だけが記載されたもので、この楽譜を見ただけで大胴(おおどう・鋲打ち太鼓のことです)や篠笛まで演奏できる楽譜ではありません。先ず覚えるべきは締め太鼓。囃子マスターへの第一歩は例外なく締め太鼓マスターから始まる様子です。
楽譜のはなし。
曲目としては入門編にあたる曲です。小さなお友達がお囃子習得の下地を身体に叩き込むために演奏する入門曲です。ほほぅ楽譜があるのか、ならば暗譜してしまえばよかろう。皆様そうお思いでしょうか?思いますよね?ハイここに一つ、オハヤシつまずきポイント。入門曲に限らずですが、僕らが習っているお囃子一曲ぶんの構成というのは少し複雑で。短い曲が積み重なって一つの曲を構成しています。楽譜には短い曲それぞれの締め太鼓パートが段落的に区切られて記載してあります。しかし。なんと演奏される段落の順番が決まっていません。ずばーん。
繰り返されたり飛んだり戻ったり。途中から別の段落に入ったりします。楽譜には、この段落が終わったらアッチかコッチかどっちかに移りなさい、て感じで、なんともはや柔軟な指示書きがしてあります。そして、この演奏される段落の連なり、この舵取り役は笛であります。笛がこう吹いたらこの段落を繰り返す。こう吹いたらここへ戻る、あっちへ飛ぶ。楽譜の柔軟な指示と併せて、そうやって流れてゆきます。
そのきっかけになる笛の旋律については、僕がいただいた楽譜にも表記がなく。聴いて覚えるしかないところです。笛の進行については、恐らくですが、奏者の気分で戻ったり繰り返したりしています。きつとさうだと思ヒます。これがなんとも、実際やっていると面白なぁと感じます。スリリングでもあります。そして必然、太鼓を叩きながらも笛の演奏に意識は集中しますから、締め太鼓や大胴で、一曲難なく通せる頃には笛パートへの理解もかなり深まっている訳です。そこまで下地を作った段階で、ようやっと篠笛を教えていただけるようになるという事です。ですかね?たぶんね。
笛パートへの理解うんぬんと書きましたが、実はこのところの稽古では僕のような締め太鼓すら半端な見習いも一緒に皆で車座になって笛を吹く時間があります。へぇ。僕も吹いてみたところフスー、フスーと鳴りました。これは僕の知っている篠笛の音ではありませんでした。実際に笛に触ってみるとなおのこと、お囃子界の巨星チョーサンの笛の凄みがわかります。わかりません。何をどうしたらチョーサンの様な表現力が身に付くものか。あぁまた聴きたいなぁ。導かれたいなぁ、チョーサンの笛に。
楽譜のはなし。
僕がいただいた楽譜というのは、最近稽古に通ってくる小さなお友達のみんなに配られたものと同じ楽譜になるのですが、その内容。内容は、ほとんど締め太鼓の手順だけが記載されたもので、この楽譜を見ただけで大胴(おおどう・鋲打ち太鼓のことです)や篠笛まで演奏できる楽譜ではありません。先ず覚えるべきは締め太鼓。囃子マスターへの第一歩は例外なく締め太鼓マスターから始まる様子です。
楽譜のはなし。
曲目としては入門編にあたる曲です。小さなお友達がお囃子習得の下地を身体に叩き込むために演奏する入門曲です。ほほぅ楽譜があるのか、ならば暗譜してしまえばよかろう。皆様そうお思いでしょうか?思いますよね?ハイここに一つ、オハヤシつまずきポイント。入門曲に限らずですが、僕らが習っているお囃子一曲ぶんの構成というのは少し複雑で。短い曲が積み重なって一つの曲を構成しています。楽譜には短い曲それぞれの締め太鼓パートが段落的に区切られて記載してあります。しかし。なんと演奏される段落の順番が決まっていません。ずばーん。
繰り返されたり飛んだり戻ったり。途中から別の段落に入ったりします。楽譜には、この段落が終わったらアッチかコッチかどっちかに移りなさい、て感じで、なんともはや柔軟な指示書きがしてあります。そして、この演奏される段落の連なり、この舵取り役は笛であります。笛がこう吹いたらこの段落を繰り返す。こう吹いたらここへ戻る、あっちへ飛ぶ。楽譜の柔軟な指示と併せて、そうやって流れてゆきます。
そのきっかけになる笛の旋律については、僕がいただいた楽譜にも表記がなく。聴いて覚えるしかないところです。笛の進行については、恐らくですが、奏者の気分で戻ったり繰り返したりしています。きつとさうだと思ヒます。これがなんとも、実際やっていると面白なぁと感じます。スリリングでもあります。そして必然、太鼓を叩きながらも笛の演奏に意識は集中しますから、締め太鼓や大胴で、一曲難なく通せる頃には笛パートへの理解もかなり深まっている訳です。そこまで下地を作った段階で、ようやっと篠笛を教えていただけるようになるという事です。ですかね?たぶんね。
笛パートへの理解うんぬんと書きましたが、実はこのところの稽古では僕のような締め太鼓すら半端な見習いも一緒に皆で車座になって笛を吹く時間があります。へぇ。僕も吹いてみたところフスー、フスーと鳴りました。これは僕の知っている篠笛の音ではありませんでした。実際に笛に触ってみるとなおのこと、お囃子界の巨星チョーサンの笛の凄みがわかります。わかりません。何をどうしたらチョーサンの様な表現力が身に付くものか。あぁまた聴きたいなぁ。導かれたいなぁ、チョーサンの笛に。